サボテンに関する知識を残していくこと

Last Updated: 2023年1月18日By

オリエンタルフラワーは、花屋として地域の皆さんに親しまれています。ただ、サボテンを栽培し販売していることには触れていません。オリエンタルフラワーとしての実質営業年数よりもサボテンの栽培に携わっている期間の長いです。オリエンタルフラワーとしての店は小牧市、サボテンの栽培所も小牧市です。この小牧市に接する春日井市は、サボテンを種から蒔いて実生で育てることでは有名です。実際に自分もそこから買い取ることも多いです。以前は春日井市でサボテンを栽培しているところが多数ありました。小牧市でも古くは春日井市同様にサボテンの生産者も多数ありましたが、月日を重ね続けた現在では数件に減ったのが現実です。数十年に於けるサボテンの栽培の道のりの全てを載せるには膨大過ぎます。ここでは、自分が携わった経緯と主観性、客観性をもって説明していきます。今から40年以上も前にサボテンの輸出をしていました。オリエンタルフラワーとしての花屋を営む以前のことです。その当時の為替は、日本は1ドルに対して360円という固定相場でした。今は、1ドルに対して約120円ぐらいが普通。その当時に国内では、牡丹玉から派生した緋牡丹の栽培を可能にしていました。

この緋牡丹は、もとになった牡丹玉と比べて葉緑素が少なく光合成での営みに弱いという欠点がありました。そこでサボテン同士を接ぎ木して栽培すれば先の弱さをかなり克服して栽培出来得るようになりました。多くの人は、サボテン同士を接ぐ?という意味が理解出来ないかも知れません。日本では、サボテンの接ぎ木の仕方以前に盆栽として好まれる木々、それ以外の木々を接ぎ木していました。今では、野菜なども接ぎがなされて販売もされています。サボテンに関しての接ぎ木の下となる台木は、安価で成長に特化したものを使います。この緋牡丹の代木は三角柱です。あまり聞きなれませんが、沖縄の特産として販売されているドラゴンフルーツというサボテンです。この成長の利点を生かして5mmぐらいの緋牡丹の子供を接ぎ木します。実際に自分もこれを接ぎ木していました。その当時には、国内では別段凄いという受け止め方はされていませんでしたが、これを海外に紹介したところ驚くほどの反応がありました。円の価値観が固定相場で安いということから、このサボテンを主に輸出が始まりました。行先は、アメリカ、オランダ、イギリス、ドイツ等々と世界の各地に向けて航空貨物を使っての輸出でした。これを期にして日本のサボテンの実生苗も輸出されるようにもなり、世界から注目を浴びるようになりました。では国内での販売はと言えば、さほどに好調でなく他の園芸品種に劣っていたような感じでした。ちょうどその頃から日本は経済の成長に伴い変動相場制に移行し始めました。その当時の国内での緋牡丹の取引相場は85円ぐらいだった記憶がりますが、特筆されるサボテンで取引高が多くなるにつれて120円ぐらいまでの相場となり、円高と合わせて徐々に輸出の減少となっていきました。この緋牡丹という接ぎ木の技術は、日本から隣の韓国に渡り中国で栽培されるようになり、日本では緋牡丹を専門に接ぎ木をする生産者は年を追うごとに減っていきました。今でも、この緋牡丹は世界中で取り引きがされています。これを見る度に当時の成り行きが思い浮かびます。ただ、国内では緋牡丹の接ぎ木は行われなくなりましたが、サボテンの実生の技術は今でも受け継がれています。サボテン自体が衰退したかと言えば、そうではないです。日本人特有の探求心によって品種改良がなされたサボテンも多いです。一口にサボテンと言っても多種多様、それらを全て説明出来得る方々がいません。自分もかなりの知識はありますが、自分より上の方々は自分の数段上の知識がありました。自分個人の本音は、まだ自分の上に立つ人たちの知識を身に付けておけば良かったと後悔してます。それでも自分が知り得る限りのことを後者の人に残しておきたいという意志は持っています。まずは、前にも触れた緋牡丹を通して、日本で栽培されるサボテンが世界に紹介されたことです。

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