半世紀も前のサボテンの記憶

Last Updated: 2023年10月2日By

自分の記憶では、今から60年も前にはサボテンの栽培技術は完成されていたのではないかと思う。
自分がまだ幼稚園の頃に親と一緒に春日井市の桃山町の伊藤さん宅に行った記憶がある。多分、サボテンの競りが行われていたのではないか?
と思う。大勢の人がいてなんだか楽しそうな感じだった。自分はまったく興味がないからボケーとしていたら誰かがお菓子を持ってきてくれた。それが変な形をしていた、今、思い起こせばリトープスのような形だった。他に記憶にあるのは、その伊藤さん宅の入り口に大きな石があり見たことのない洋風の植物(シュロ)と大きなソテツがあったのを記憶している。
退屈だったから幾つもの大きな岩に乗って遊んでいた。これがもっとも古いサボテンに関する光景だった。
今でも伊藤さん宅に行くときに遊んだ岩をどうしても見てしまうことが癖となっている。
この春日井での伊藤さんは、サボテンの実生栽培を多くの人が仕事として携わってもいいように貢献をされた方。
惜しいことに早く亡くなれた。自分が仕事でその方に合ったりするととても優しい人柄なんだけれど全く格上という感じがしていた。
そこで栽培されるサボテンの数は膨大で推測で100万ぐらいの種を蒔き、発芽したサボテンの植え替えを行っていた。
それが不思議なことに現在とその手法があまり変わっていない。ということは40年前にはすでにサボテンの栽培を国内で可能にしていたということ。これは今考えれば凄いことだと思う。思い返せば当たり前に思って見て来たことは実際にはとんでもないことだったと感じる。
聞けばどんなことでも教えてくれたが、自分のサボテンの知識が乏しいから恥ずかしくあれこれと聞けなかった。
相撲で言えば横砂と幕下クラス、野球で言えば往路の世界と中学生クラスという感じ。
やはり今の自分のサボテンに関する知識は、その方に比べたら五分の一から三分の一ぐらいかな?どうなんだろう?
自分のサボテンの知識は親からとか周りの人から教わったもの。
自分がここでサボテンに関するること知り得ることを記載するのは、親切に教えてくれた人たちの知恵を次世代に残していきたいから。
今は、こして簡単に費用が掛からずに文章が残せる。記述の曖昧さとか誤字がいっぱいあっても伝わることが大切だと考える。
次世代に伝え残すことは膨大かも知れないが、それによって多くの人が長いサボテンの歩みに興味をもってもらいサボテンと呼ばれる植物を好きになればと思っています。

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